レッスン空き時間をお知らせします。
とある曲をミスなく弾いてきて、最後の一小節で外してしまった小学生Hくんが一言。
「もうちょっと近いかと思ったら思いのほか遠かったんだよなぁ~。このファのシャープが」
私は「思いのほか遠かった」という表現がもう可笑しくてちょっとツボに入ってしまって大笑いしてしまいました。Hくんもつられて笑いながらミスの部分を練習して、次は見事に弾き切りました。
いや、ピアノの先生としては笑うところじゃなかったかも。でもまあ、彼は「そこを練習しなきゃな」ってことは自分で分かっている。だから私が笑っている間に練習してクリアしてしまったわけで、これでいいのだ。たぶん。
また別の日。小学校にあがったばかりのSちゃんが、楽譜を曲にそって指さしながら
「Sはねえ、ここは弾けるの。ここはひけないの。ここはひけるの。ここもだいたい弾けるの」
そして、ほんのちょっと止まってしまう部分がどうにも悔しくて悲しいようです。
でもね、自分でそこがひけないってわかってるSちゃんはとってもえらい。小さいのにすごいね!
練習したらできるようになった、でよいのです。
だけれど、小さな方ほど、いまここでできないと悲しくなるようです。
そのあと部分練習をして、止まらずに弾けるようになりました。笑顔がかわいいね。頑張ったね‼
ピアノステップが終わって間もないころ、ベートーヴェンのピアノソナタを弾いたOさん(大人の方)が
「先生、私あのとき、自分の音が追えなくなっちゃったんです。ホールの音響が良すぎて、響いている音を聴いてしまって。なんだか混乱しちゃって」
いやいや、私はその時袖で聴いていたけど、Oさんがそんな状態だったなんて気づきませんでした。とても素敵な演奏でした。評価も大変高かったじゃないですか。
だから次にあのホールで弾くときに、それを思い出せばいいですよ。 …っていうか、めっちゃレベル高!
他にもたくさん例はあるのですが、私はたびたび、みなさんの『言語化』能力に驚きます。
(『言語化』って技能トレーニングの用語かと思ってました。さきほど検索したら筆頭にくるのがビジネス用語的使われ方でした。)
自分の中にあるもやもやっとした『感覚』を言葉で表す。理解→分析→結論 というプロセスがなければできないことですよね。
そして、上のほうでもちらっと書いていますが、それができていれば私がやることはあんまりないです。その次のプロセスつまり『成長』へ促すヒントを出すくらい。
そういえば、センター試験に代わる新大学入試も筆記が多く入ってくるんですよね。
私も言語化していく、していけるレッスンをめざしていきたいです。
レッスン空き時間に変更が出ているのでお知らせいたします。
4月からの空き時間についてはこのひとつ前のブログでお知らせしております。
息子が春休み中イギリスに行っていて、帰ってきたのですがみやげ話もそこそこにずーっと眠っています。
もう15時間以上眠っているような?大丈夫なのか。
クラシック音楽の作曲家ってなんだかドイツとイタリアばっかり?あとフランス?みたいなイメージですがそんなことはなく『イギリス 作曲家』で検索すればたくさん出てきます。でもまあ、ピアノ曲に関してはたしかに少ないかなあ?
ぱっと思いつくのはヘンデルの『調子のよい鍛冶屋』ですね。これ、私の世代のピアノ曲集には簡単ヴァージョンもふくめてけっこう載っていたものですが最近の曲集にはあまり入っていませんね。
ヘンデルはドイツの人ですがイギリスで活躍しました。バロックの巨匠のひとりです。
バロック時代の人なのでもともとはハープシコードという楽器用に作曲された曲です。
あとバッハの『イギリス組曲』とかありますけど、うーむ、これもまあイギリスの貴族に贈られたからこの名前だそうで・・・
桜の季節になりました。ご無沙汰してしまってすみません。
新入学、新学年おめでとうございます!
今年は入学式でピアノを弾かれる生徒さん(新6年生)が2名いらっしゃいます。春休み中も練習してます!
卒業式では3校3名の方がピアノを弾かれました。思いのこもった演奏ができたと思います。
今日はそういえば新元号発表の日でもありますね。
当教室も2月~3月多く承りましたレッスン時間のご変更などの調整もほぼ終了し、また新しい生徒さんもお迎え致しました。
新時間割?で気持ちあらたに頑張っていきたいと思います。
空き時間をお知らせいたします。
私事がいろいろ詰まってきてブログがご無沙汰してしまいました。
さて、卒業ソングが聴こえてくる季節となりました。
当教室でも何人かが卒業行事のピアノ伴奏者としていろいろな曲に取り組んでいらっしゃいます。
これは中学3年生が取り組んでいる三年生を送る会の合唱伴奏の楽譜です。
きれいに作ってあるでしょう?
裏はこんな感じ。
学校からもらってくる合唱伴奏の楽譜は7,8ページくらいはざらにあります。
私はペラで譜面立てに置くのではなく、かならず紙に貼るかファイルにいれるかしてね、とずっと言っています。もし万が一落ちたら困るし、ステージ上は特別な場所だから見た目もきれいにとも言っています。また、学校の伴奏の場合、譜めくりをつけてくれるかわからないので、自分でめくれるように、という話もします。
この楽譜はMさんが自分でこうしてきれいに作ってくれました。
これなら譜めくりがいなくてもグランドピアノなら全部前に立てられます。
小さいうちはこんなふうに楽譜をつないできれいに貼り合わせるのは難しいですよね。
でもさすが中学三年生です。写真にとって自慢したいような楽譜に作ってくれました。
もちろん練習もバッチリです。
というか、ここへ来てさらに伸びしろを感じるわ!!
とても小さいときから知っているMちゃんが、こんなにもお姉さんになったのかと感激しています。
4月になって高校という新しい世界に羽ばたいても、きっと大丈夫。
(ピアノがどうこう以上に、こうして自分から道具を工夫しよい環境を整えることができる。目標にきちんと取り組むことができる。そういうおねえさんになったのだから。)
この楽譜を前にしてピアノを弾いているMちゃんをの姿をみるたびにそう思うのです。
高校生の息子は芸術科目で音楽を選択しています。ちなみに彼はピアノは弾けません。
ある日こんなことを言いました。
息子「今学期の音楽の成績は、レポート提出なんだけどさ、そのタイトルが『音楽の力』でさ、何書いたらいいんだかわからん」
おお、ここは私の出番か!? やっぱり専門家らしいアドバイスをしないと!
私は意気込んで、でもけっきょく思いつくままてきとうににしゃべり始めました。
私「このまえ羽生選手が『花は咲く』で滑ってる動画をみて(感動して)鳥肌がたつ、って言ってたよね。あれってさ、もちろん知っての通り東日本大震災の復興を応援する意味合いで作られた曲だし、羽生選手もだからこそあの曲を選んだんだよね。
あなたが(息子が)鳥肌がたつほど感動したのと同じようにあの動画に感動してるひとがたくさんいるよね。あの歌に励まされたり、背中を押されたりしたひともきっとどっかにいるよね。(そして癒されたり、立ち上がれたりした人も)
そんなふうに、人の心を動かすことができるのが、音楽の力だと思うの!」
息子「……………(お母さんが熱く語り始めちまったよ(‘ω’)」
私「そうそう、デヴィッド・ボウイとベルリンの壁の話は知ってる?」
息子「知らない」
私「東西冷戦時代にさ、デヴィッド・ボウイがベルリンの壁にスピーカー向けてライヴをして、って話。」
その時ベルリンの壁の東側にいたひとたちは、壁越しにかれの歌を聴いていた。そしてベルリンの壁崩壊後、ドイツ政府からデヴィッド・ボウイに感謝のメッセージが送られた、というような話です。
私「だからさ、もちろんベルリンの壁崩壊に直接かかわるわけじゃないけど、その壁に亀裂を生んだというか、人々の心に訴えかけて、ベルリンの壁に亀裂を生むような気持ちを呼び覚まさせたというかさ、そういう感じ。ああもう、デヴィッド・ボウイ ベルリンの壁 でぐぐるといい記事が出てくると思うからぐぐってよ!」
息子「……………(めんどくせえ)」
そんなこんなで、音楽は人の心を動かす。そして人の行動も駆り立てる。
というようなことを懸命に息子に話したのですが、最終的に息子は
「………難しいな」
といって立ち去っていきました。
あれ? 私役に立たなかった?( ;∀;)
ていうかぜんぜんピアノの先生っぽい話じゃないし!
現在の空き時間は以下の通りです。
個人教室ですのでできるだけ(現在の生徒さんに影響が出ない範囲で)
ご希望に添いたいとも考えております。ご相談ください。
ご連絡お待ちしています。
あけましておめでとうございます
皆様のご健康とご多幸をお祈り致します
今年もよろしくお願い致します
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
只今帰省中のため、君津にはおりません。おそれいりますがお電話のご連絡は1月4日以降にお願いできればと存じます。
これは楽譜の間から出てきた、私の昔のピアノ発表会のプログラムです。
昭和54年て。
1979年です。だいたい、よ、40年前ですね・・・。
今ウィキペディアみてみたら・江川卓が巨人に入団とか・映画『エイリアン』とか・ヒット曲いとしのエリーとか…。
中をみると、午前の部と午後の部があります。ぜんぶで70~80くらいのプログラムあるかも。
私はOBの部というのに出ています。
斉藤フミ先生は富津市八幡の先生でした。
地元の方ではなく、関西から来られたと聞いていました。
白髪のご婦人でした。当時のわたしにとってはおばあさんと感じる年齢の方でしたが、(当時の)私の身近にいる「おばあさん」とは髪型も服装も雰囲気も全く違っていました。なんかこう、都会人のオーラがまぶしいというか。けして気取っているわけではないけれど、洗練されていてかっこいい方でした。
でも厳しかったです。
うっかり爪がのびていると「なんだこの手は!高宕山のおサルさんか!」と大騒ぎされるし、弾いている手の形が悪いとピシっと叩かれました。
そして当時の先生ってみんなそういう感じでしたが、手取り足取り何かを教えてくれるわけではなく、基本的には自力で弾きこなしたものを先生のところで弾いて丸をもらう、というレッスンでした。
厳しくても怖くても叩かれても、私は斉藤先生が大好きでした。
たくさん愛情を注いでいただきました。
斉藤先生は晩年、ここ君津中野にお住まいだったと思うのです。
私は高校から地元を離れてしまって、その中野のお宅には1回くらいしか伺っておらず記憶が曖昧です。
たまたま縁あって自分も中野に越してきて、前に斉藤先生のお宅があったのはどのへんだったかしらとぐるぐる自転車で回ったりしていましたが、どうも思い出せません。
どなたかご存知の方がいたら教えて下さい。
プログラムを開くと歌詞がのっています。
上はバイエル78番、下はバイエル52番のメロディーで歌います。
斉藤先生ご自身が作った歌詞と聞いています。
斉藤先生のような先生になりたいと当時思っていました。
今は、もう少し年をとったら、斉藤先生のようなおばあさんになりたいです。
COPYRIGHT © 2018 みずほピアノ教室 All Rights Resereved.