2018.12.12 BLOG
斉藤フミ先生
これは楽譜の間から出てきた、私の昔のピアノ発表会のプログラムです。
昭和54年て。
1979年です。だいたい、よ、40年前ですね・・・。
今ウィキペディアみてみたら・江川卓が巨人に入団とか・映画『エイリアン』とか・ヒット曲いとしのエリーとか…。
中をみると、午前の部と午後の部があります。ぜんぶで70~80くらいのプログラムあるかも。
私はOBの部というのに出ています。
斉藤フミ先生は富津市八幡の先生でした。
地元の方ではなく、関西から来られたと聞いていました。
白髪のご婦人でした。当時のわたしにとってはおばあさんと感じる年齢の方でしたが、(当時の)私の身近にいる「おばあさん」とは髪型も服装も雰囲気も全く違っていました。なんかこう、都会人のオーラがまぶしいというか。けして気取っているわけではないけれど、洗練されていてかっこいい方でした。
でも厳しかったです。
うっかり爪がのびていると「なんだこの手は!高宕山のおサルさんか!」と大騒ぎされるし、弾いている手の形が悪いとピシっと叩かれました。
そして当時の先生ってみんなそういう感じでしたが、手取り足取り何かを教えてくれるわけではなく、基本的には自力で弾きこなしたものを先生のところで弾いて丸をもらう、というレッスンでした。
厳しくても怖くても叩かれても、私は斉藤先生が大好きでした。
たくさん愛情を注いでいただきました。
斉藤先生は晩年、ここ君津中野にお住まいだったと思うのです。
私は高校から地元を離れてしまって、その中野のお宅には1回くらいしか伺っておらず記憶が曖昧です。
たまたま縁あって自分も中野に越してきて、前に斉藤先生のお宅があったのはどのへんだったかしらとぐるぐる自転車で回ったりしていましたが、どうも思い出せません。
どなたかご存知の方がいたら教えて下さい。
プログラムを開くと歌詞がのっています。
上はバイエル78番、下はバイエル52番のメロディーで歌います。
斉藤先生ご自身が作った歌詞と聞いています。
斉藤先生のような先生になりたいと当時思っていました。
今は、もう少し年をとったら、斉藤先生のようなおばあさんになりたいです。